マッチありました
2016-07-26


この前の待ち合わせの記事に引き続き、昔話です。
待ち合わせの記事はこちら。[LINK]

30年ほど前の日本には嫌煙、分煙なんて概念はありませんでした。
昔は、どこでもタバコが吸えて、そして飲食店には名刺代わりのお店のマッチがありました。

禺画像]
カンタベリーハウス、新宿のディスコですねぇ。
ビバ館、ギリシャ館、ペルシャ館がありました。
ニューヨークニューヨークの自由の女神のキーホルダーを持ってるやつはヒーローでした。
六本木は手出しできない外国でした。
YMOのライディーンはカッコ良かったですね。
君の瞳に恋してる♪...Y!mobileの1980のCMでやってますね。
君の瞳に恋してるチークバージョンもあるんですよ。
チークタイム...ありましたねぇ。
ディスコは大学2年で卒業しました。

禺画像]
新宿には、セントラルパークっていう体育館みたいに広い居酒屋がありました。
『センパ』って呼んでました。
みんなで行って、ウィスキーをボトルで頼んで飲みます。
オールドを頼むのがイケてました。
そういえば、ウィスキーのボトルキープなんてのがありました。
先輩が後輩に言います、『俺のボトルが入ってるから行ってこいよ』。
学生時代の話です。
就職してからは、おじさんの行く居酒屋に変わりました。

禺画像]
もちろんライターもありましたよ。
100円ライター、圧電素子じゃなく石のやつ。
ターボライター、なぜかゴムパッキン付きで防水仕様でした。
そしてZippo、色んなデザインのがあってアクセサリー感覚ですね。

禺画像]
歩行喫煙、駅のホーム、電車のボックスシート、観光バス、飲食店、どこでもタバコが吸えた時代です。
車の後部座席にも標準で灰皿が装備されてましたね。
灰皿が無い場所でタバコを吸っても、携帯灰皿を持っていればマナーの良い人と思われる時代でした。

ちなみに、そこそこの年齢からタバコを吸い始めたおじさんは、20年前に禁煙しました。


コメント(全0件)
コメントをする


記事を書く
powered by ASAHIネット